境界的言説としての物語

ブルーナーの『意味の復権』を読んだ。文化をささえる最も重要な装置として物語を提示しているが、彼の考える物語の核心的な機能は「意味」を作り出すことである。このような立場をベースにして、主に文化心理学的な側面から物語について論じている。



その中で特に興味深かったのは規範性と逸脱性という対立項の中で物語が担っている役割である。ブルーナーによると、物語はその内容において逸脱性に重心を置くが、逸脱性を物語ることによって物語がもたらす効果というのは、規範性の地平から逸脱性というものを捉えなおすことである。



物語は、日常性のコンテクストからずれている現象を日常的コンテクストに結び付けて新たな意味生成へと向かう、というブルーナーの立場は、物語は異質な二つを結びつけて意味を作り出すものである、という今まで検討してきた「物語に関する理論」の共通的な了解と似ているように思える。ここで言う「異質な二つ」を、根源的には<規範性/逸脱性>の対立項をよりラディカルにした<既知の世界/未知の世界>または<理解可能な世界/理解不可能な世界>として捉えたほうが良さそうである。このように捉えたとき、物語は生得的に「理解不可能な世界」を内包する形でしか成り立たない言説形態として理解されるべきであろう。知の境界領域(論理的世界の限界)こそが、物語の生成されるトポスなのだ。