2006-01-01から1年間の記事一覧

空無からも意味を作り出してしまうコンテクスト

『インターコミュニケーション2006秋』の「<現在>を考える」=浅田彰と岡崎乾二郎の対談昨日の高橋源一郎に続いて、今日も文脈に関する引用文。1.不断なる自己更新をその特徴としたモダニズムが、決して革命の勢いと地続きではない、むしろ革命の挫折が…

文脈の解体―高橋源一郎

無限に近い因果関係のネットワークとして存在し続ける世界と、限定された認知能力と限られた情報処理速度と等身大の行動手段でもって向き合わなければならない人間は「物語」に依拠して世界をマッピングせざるを得ない。そして、そのマッピングの技術は物理…

普遍は凡庸に、特殊は深い洞察に…

大澤真幸の『文明の内なる衝突』(NHKブックス,2002)を読み終えた。ベットの横に置いて、寝る直前にぱらぱら読み続け、読み終えるまで一週間以上かかった様な気がする。最初の部分はほぼ忘れてしまった。なんとも、まあ、非効率的な読書であることか。それ…

蓮實、「解釈の無限連鎖」を生き抜く?

1.今日は、スガ秀美が編集した本『1968』(作品社、2005)に載っている座談会「「一九六八年」とはなんだった/何であるのか」で蓮實重彦が話した内容の一部を引用することにしたい。 ポストモダンのシニシズムにつける薬はないと思います。好きなよう…

超近代の自己反省性

「超近代」が要求する自己反省の強度に、人間は耐えうるか? 最近読んだ佐藤俊樹の『ノイマンの夢・近代の欲望』を本棚に仕舞い込むのが、どうしてか心残りで、無意識の命令に従い、軽く読み返した。そして、最後の章の「超(ハイパー)近代」に関する内容を読…

境界的言説としての物語

ブルーナーの『意味の復権』を読んだ。文化をささえる最も重要な装置として物語を提示しているが、彼の考える物語の核心的な機能は「意味」を作り出すことである。このような立場をベースにして、主に文化心理学的な側面から物語について論じている。 その中…

ノイマンの夢・近代の欲望

佐藤俊樹『ノイマンの夢・近代の欲望』講談社1996 1.10年前に出版された本。産業社会に取って代わるかも、と主張したりする「情報化社会論」自体が近代産業社会の一部をなしている、というのが著者の言わん所。基本的に著者の立場に賛同。非常に丁寧に著者…

異者の変容、マルクスの悲劇

1 山口昌男の『文化と両義性』は境界、異者などが秩序と混沌を仲介して、秩序を活性化させるという主張の繰り返しで構成されている。僕の見解では、秩序が、自立的かつ内的に積み重ねられていく秩序内の問題群に、もはや耐えられない状態に陥ったとき、この…

差異と反復

小品種大量生産が主導したフォーディズムの時代は、一見これは変な話なのだが、つねにあたらしさを追求し、反復を嫌ったモダニズムの時代と重なる。現実の生活は似ているもの、または全く同じものの反復によって構成されていたが、芸術の世界はその対極、即…

江藤淳

加藤典洋『アメリカの影』 引用文 江藤は『成熟と喪失』のなかで、「母」の崩壊 −急激な産業化、近代化による自然なるものの崩壊− によってひきおこされた内面的危機を克服するための方向として「父」性原理の確立ということをあげていた。しかしそこで彼が…

アウラ

アウラ:どんなに近くにあっても、近よりがたい 引用文 The definition of the aura as a "unique phenomenon of a distance however close it may be" represents nothing but the formulation of the cult value of the work of art in categories of spac…

パイロット

記憶は、意識に属するものであるよりは、意識の外部から潜入してくるものであるらしい。それらの多くは意識の流れの「内容」として現前するが、それ以前に意識の流れ自体を方向付ける力として作用しているように感じられる。多分、実体的な観点からすれば、…

ジジェク

ジジェク『斜めから見る』 この分類はかなり興味深い! 主体のリビドー経済における段階 = 資本主義社会の形態 (192頁) 口唇的段階 = プロテスタント倫理の「自律的な」人間 肛門的段階 = 他律的な「組織人間」 男根的段階 = 今日支配的な「病的ナルシ…